つきひざはやる気ないからね

「いや、やる気はあると思いますが・・・」

「私」の、おじいちゃんへ①

 私の母方の祖父ですが、私が2歳を迎える前1983年4月6日に亡くなりました。享年53歳。出先での事故死でした。

 

 私は正直4歳までの記憶が殆どないのですが(だから母親に「何度も海連れてったでしょ!覚えてないの?」と言われたりします・・・)祖父が亡くなった日や翌日のことはよく覚えています。家で冷たくなって動かない祖父。取り囲むようにして悲しんでいる祖母、母親、叔父・・・。でも私には事の重大さが分からなかった。また起き上がるんでしょ?って思っていた。次の日には葬式でおじいちゃんの姿がなくなってた。祖母や母親、葬式の手伝いに来ていた親戚にひたすら「おじいちゃんはどこ?」って聞いてまわってました。

 

 

 返ってきた答えは、「おじいちゃんは、お空の、お星様になったんだよ」です。

 

 

 今振り返ってみても、子供に死の事実を教えないようにするため、死の事実を受け止めようとする子供をなだめるため・・・に言ったんじゃない、とは思っています。

 

 

 ただ、「空を見れば会えるのかな」って思っていました。

 

 

 そんな私の祖父への印象は「あのおじいちゃん」でした。「あの」がつきます。祖父は周りの人とはほとんど口を聞かず、小さな子供の私でも「あのおじいちゃん、喋らないよなあ・・・」と感じて黙ってしまうくらい。だから、祖父が亡くなって、なんとなく話題にもしなくなり、心理的な距離はより離れていき、約30年・・・。

 

 

 その間私は物理的にも精神的にも「生」と「死」に対して、ゆれて、ブレて、ぐらついていた日々を送っていました。「世の中にはねぇ、生きたくても生きられなかった人がいるんだよ!」と大学時代の先輩に強く言われた時も(その先輩に勉強や生き様に関する愚痴を延々言ってたのもあります)、「私の何を知っててそんなことが言えるの?生きていても、空しいだけじゃないの!」と無言で反発した覚えは確かにありますし、大学卒業して約1年後には、その、「死」寄りの行為も一度しましたし(だから、病院に付き添ってくれた主人と母親には頭が上がりません)。あとは、意識していなくても急に倒れたりしたこともありました(これも主人が病院まで。2分間全く無反応だったらしいです)。

 

 太ってたし、塞ぎこんでいったし、自分の事は全く好きになれなかった。「結婚して、幸せそうでいいなあ」と何人かに言われたこともありますが、私はその時やりたいことが見つけきれず、途方に暮れた末の結婚だったので、半ば「逃げ道」のような感じで捉えていました。