つきひざはやる気ないからね

「いや、やる気はあると思いますが・・・」

「私」の、おじいちゃんへ②

 ただ、自分の生き様を完全に諦めた風にもしたくなかったから、何かにしがみつくようにして結婚し、穏やかそうな生活を送っていったのはありますね。

 

 そして自分の周りでも結婚する子が増え、子供を持つ子が増えていった。私は、新しい生命を授かり、育てることにも絶望しかなかった(今は大分和らいできてるんだけど)。そして独身の子であっても、再就職したり、転職したり「働くこと」に喜びを見出している子も多く見かけるようになりました。私はアルバイト自体やバイトの面接すらも上手くいかない。だから幸せそうに育児や仕事をこなす彼女たちに対しては全くの日陰者。結婚しても両親や義両親に対して良い報告が出来ず、

 

 

 「こんな私なんて、生きてる価値はない」

 

 

 「何で、神様は私を生かしておくんだ・・・」

 

 

 とよりうつうつと暮らすようになっていきました。だけど、一度死を考えた時に主人がものすごく泣いたから、これ以上泣かせたくないと思って、ずっと黙って生きてきた。

 

 

 「これ以上生きていたって、何もいいことはないのに・・・」

 

 

 そして、2011年3月以降、「死」や「生きる苦しみ、絶望感」に裏打ちされたニュースを目の当たりにするようになってからは、「私には、何の高い志もない。不意の事故で命を奪われた、生きたかった人がいるなら、私がこの命と引き換えに代わりたい」とまで思うようになりました。

 

 

 「死にながら」生きている状態。仰々しく死は叫べない。しかし生きる理由も見つからない。そんな状態が少なくとも2012年3月までは続いていたことになります。しかし、あることがきっかけでこんな自分も受け容れて、楽しく、強く生き抜いていこう、とかすかながらに思うようになりました(痩せたことやNW24及びNWを見ていること、友人とそれぞれ会うことになったこともきっかけの1つには確実になっています、ありがとう)。

 

 

 そして急に思いついたのが、事故死した祖父のこと。2歳までどんな事を言っていたのか単純に興味がありました。30年は経っているし、母親の「死」の痛みも和らいでいるだろうと・・・。そして2月に実家に帰った時に母親に聞いてみたのです。「おじいちゃんって、私が生まれた時どんな感じだったの?」って。その瞬間、母親からかすかに放たれた言葉を聞き逃せなかった。

 

 

 「あー、あんたにとってはいないほうが長かったかもしれないわね。でも、『この子が生まれたからには俺はどんなことも頑張って生きてやるぞ』って・・・」